斧の話し | 紫陽庵 casina d'ortensia
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2014.09.23 Tuesday - -
斧の話し

ぽっちゃん。
働き者の木こりさんは、泉に愛用の鉄の斧を落としてしまいましたとさ。


トマスの会で、前回お題として出された問題です。少し考えてみました。
お暇があれば、ご批判ください m(..)m 。


【問題】以下の主張を批判しなさい。

「金の斧、銀の斧、鉄の斧は、形相としては共通の「斧」なので、それらは質料によって優劣が区別されている。ゆえに、「すべての善や完全性は形相による」という主張は誤りである」。


まず、用語に関する突っ込みどころを挙げると(私の指摘ではありませんが)、

(1)金の斧、銀の斧、鉄の斧は、形相としては共通の「斧」:
「金の斧」「銀の斧」・・・には、それぞれ「金の斧」「銀の斧」・・・の形相を想定することも可能ではないか。

(2)質料によって優劣が区別されている:
「金」「銀」「鉄」として、現実化している以上、既に「質量」ではないのではないか。換言すれば、「金」「銀」「鉄」は、質量=「鉱物(あるいは第一質量?)」と形相の複合体であり、「金」「銀」「鉄」の区別は形相に由来する。

 (1)も(2)も、形相ー質量の対関係をどこに設定するかに関わってますよね。たぶん、何について「形相ー質量」を語るのかに、常に留意が必要だということでしょう。


 さて、一応、出題者の意図に沿っている(と思う)理解を書いてみる。
 通常、金の斧>銀の斧>鉄の斧の順に優劣が決定されている、ように思われる(私はこの点がそれほどしっくりきませんが)。これは、斧の質量となった、金、銀、鉄をそれ自体として比較した結果の判断である。
 しかし、三つが斧である限り、斧としていかに優れているかが、各々の優劣を判断する基準として採用されることが相応しい。そして、そのものが何であるかに即してものの優劣を判断することは、ものを形相に即して判断することである。つまり、斧が斧としてよいのは、「斧」という形相(斧としてのはたらきや機能など)により適うからであり、その観点からすれば、金銀よりも、鉄の斧が優れていると言える。
 

 この解答に対して、まず、疑問となるのは、鉄の斧が優れているとの判断も、結局材料(斧の質量)の違いに依拠するではないか、ということです。「質量によって区別されている」点においては、同じだということです。
 ということは、もう少し補って、形相(斧というもの)は、自身に適合する度合いに応じて、自身にとっての質量の優劣を決する、ということになるでしょうかね。

 もう一つは、形相に即して、「鉄の斧」が優れていると言えるのだとしても、異なった観点からは、やはり「金の斧」の方が優れていると言いうるのではないか。そうだとすると、「すべての善や完全性は形相による」にある「すべての」を満たす説明とは言えないということです。
 この点については、ひとまず、「金の斧」が優れているという場合には、「金」に着目しているのであって、それはやはり形相に由来するのだということもできる。しかし、その場合、「金」「銀」「鉄」の優劣は何によるのかが判然としない。形相にいかに適うかによって優劣が決せられるとする以上、同じ形相に与るもの同士でなければ比較できないということになるのではないでしょうか。

 それでも比較が可能だとすれば、「金」「銀」「鉄」の優劣を判断する際には、質量でもなく、形相でもない、価値という別の基準を用いていると言える。しかし、だとすれば、先ほど見たように、鉄の斧が「形相に即して」優れているとの理解もまた、例えば、強度や固さという基準によって、鉄という質量が優れているのだと言ってもよいのではないか。

 ここで疑問になるのは、「すべての善や完全性は形相による」の含意。つまり、そもそも「金」が「鉄」よりも優れている、という余地があるのだろうか。

トマス・アクィナス『神学大全』1.3.2
すべての質量と形相からの複合体が完全であり善なのは、それ自身の形相によってである:そこで、どれだけ分有によって善であるかは、質量が形相をどれだけ分有しているかに応じている。


 ここで言われていることは、形相の分有の度合いに応じて、善(そして完全性)の度合いが決まるということだと理解できます(これが、大発見でした!)。それに対し、先にも見たように、「金」「銀」「鉄」の比較は、形相同士の比較です。 

 ですから、最初の主張に対しては、このように答えてみてはどうかと思います。
 金の斧を優れているとみなす判断が依拠する判断基準は価値であり、その比較において優劣を決しているのは、主張にあるように形相でないのは勿論、質量でもない。価値を判断基準として、形相同士を比較していると理解できる。
 他方、「すべての善や完全性は形相による」における「善」や「完全性」は、異なる形相間の比較基準ではない。もし比較が為されうるとすれば、それは同じ形相を持つもの同士においてだろう。

 したがって、金の斧が、銀や鉄の斧に対して持つ優越は、形相が付与する「善」や「完全性」とは性質をことにするが故に、この主張は妥当ではない。


cf. Summa Theologicae 1.3.2. 
Secundo, quia omne compositum ex materia et forma est perfectum et bonum per suam formam: unde oportet quod sit bonum per participationem, secundum quod materia participat formam. Primum autem quod est bonum et optimum, quod Deus est, non est bonum per participationem: quia bonum per essentiam, prius est bono per participationem. Unde impossibile est quod Deus sit compositus ex materia et forma.
2006.07.24 Monday 11:13 哲学-filosofia-philosophy comments(4)
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2014.09.23 Tuesday - -
Comment

おやぁ。
テンプレート代えました??
すごく、シンプルになりましたね・・^^

もる 2006.07.2006/07/24 21:03


うー…ガクジュツテキなお話デスね☆分有って?ワケアリって読むのかしらん(ぇ?)

私が職業的木こりだったら、「”私が落とした斧”を返して下さい」って気分になるんだろうなぁ。
愛着もあるし、使い勝手も解っている、自分の斧が一番さ!みたいな。
なーんて、ちょっとmy弓になぞらえて考えてみました。

タケシ 2006.07.2006/07/24 21:36


おおおおお!
ほんと的確で素晴らしい文です。(惚れ惚れ)
ありがとうございます。

で、ですが、、、
すみません、只今テスト期間中で、しかも実習とレポートとバイトに襲われてますので、
撃破したらまた、コメントさせて頂きます。

黒様。 2006.07.2006/07/24 21:40


>もるさん

以前のが、唐突に暑苦しい気がして(笑)。
選んだのは、去年の夏なんですけどねー。


>タケシ殿

慧眼だわ。ワケアリらしいのよ、全くのところ。
正直、まだ霧の中なのだ。

ちなみに、私はゴミの分別を、密かに「ごみのふんべつ」と読んでます。

そんなことより、my弓、うらやましかぁ(垂涎)。


>黒様

おおおおお!
素早いご訪問でした。
入れ違いでお知らせに赴いてしまいましたです。

撃破。私のイメージでは、バイオハザードです。見たこともやったこともないけど(^^;)。
健闘を祈るっっ。

ahirucci 2006.07.2006/07/25 22:14